GALLERY A
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MORI MAGAZIN
森マガジン!
2023
2023年 冬号
M O R I M A G A Z I N
Vol.11
~イエス様は笑ったか・・・~
2023年が明けました!今年もよろしくお願いいたします。
年の初めは不思議と初々しい気分になるもの。 時のカレンダーは一枚めくれただけ、昨年と大きく変わったわけではありませんが、何か新しいことにチャレンジしたい、そんなワクワク感も新年ならでは、ですね。
SORAも初春の喜びを皆さんとお祝いしたい、やっぱり笑顔で謹賀新年・福音来訪ということで新年号は“ 笑う角には福音来たる ” 笑いとキリスト教をテーマにしました。
2023年はいっぱい笑って生きましょう!
SORA
そら
ミノ
サエ
TOPICS
Interview
インタビュー!
日本には西にも東にも「笑い」の伝統があります。今号では、落語、お笑いとエンターテイメントの世界で、確かなキャリアを重ねて来られた3人の素敵な女性たちにインタビューさせていただきました。
西の代表は、落語家、女優として活躍されている露のききょうさん、東の代表は牧師、お笑い伝道者、司会業もこなされるマルセまゆみさん、そして演劇プロデュースやホリプロのお笑い講師としても活躍されている佐伯玲子さん。皆さんにお笑い、エンタメ、そして聖書の中に見え隠れする神のユーモアについて、深~イイお話をたくさんうかがいました。
露のききょう師匠に聞きました
露のききょうプロフィール
*(故)二代目露の五郎兵衛の長女
* 1979年初舞台。以後、女優として様々なTV(NHK/他)・舞台(新歌舞伎座/中座/南座/他)・映画等に出演。2001~父・露の五郎兵衛に入門。露のききょうの名で落語も始める。【防災落語】や【男女共同参画落語】などのテーマ落語・講演活動にも取り組んでいる。
*“OSAKA 48 Hour Film Project”2012年度・助演女優賞受賞
*女優・落語家として活動する一方、父・露の五郎兵衛が演じた福音落語の後継者として、様々なメディアや、教会・集会等で神様の愛を伝える働きをしている。
*2022年冬~現在、Pasco(パン)のCMに「キャベツいる~?」のおばちゃんで出演中。
*〔関西演芸協会〕会員
*HP 「Holiday」http://kyoufumi.jimdo.com/
SORA:ききょう師匠、新年おめでとうございます。
昨年中もアリシアの森をご支援くださりありがとうございました。 今年もよろしくお願いいたします。
早速ですがこの新年号、笑う角には福音来たる!ということで、本日は” 笑いと福音 “についてお尋ねさせて下さい。聖書の中でも様々な物語が綴られていますが、これは落語のネタになる、と いうような聖書箇所はありますか。
ききょう:おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
はい、落語のネタになるようなお話は随所にあると思います。ただ「漫談」なら聖書をそのまま語って問題ないのですが、「落語」となると。笑いも入れなくてはいけないし、オチがなければならないので、案外難しいと思っています。
SORA:なるほど、落語、漫談、それぞれ笑いの練り方、作り方が違うのですね。 さて、新約聖書の中では、イエス様が泣かれた、憤慨された、という記事は出てくるのですが、笑ったという表記は見当たりません。師匠はイエス様が笑われた、微笑まれた、と思われますか、もし笑われたとしたら、それはどんなシーンでしょうか。
ききょう:イエス様は絶対笑ったり微笑まれたりしておられたと思います。例えば、子供に接する時なども怖いお顔をしておられたら、子供は近寄ってこないと思うので、微笑んでおられたと思います。イエス様は、相当な説教(語り)の名手だったと思うのですが、みんなにお話になる時も、微笑んでおられたのではないかと思っています。
SORA:そういえば、そうですね。教会学校の先生が怖い顔だったら子供は逃げ出しますよね~ 笑顔の主のイメージ湧きました!(笑)
聖書には様々な登場人物が出てきますが、師匠がこの人は面白い、ユニークだと思われる人はいますか。
ききょう:まずはイエス様。弟子にニックネームを付けるなどと言うのは、やはりユニークな人の証拠だと思います。あと、湖の上を歩いてきてみんなをびっくりさせたり、実はけっこう茶目っ気があったのではないかと思います。
SORA:なるほど、イエス様の茶目っ気!気づきませんでした。ありがとうございます。 日本の社会の中で「キリスト教」と言うと、真面目、ともすると堅い暗いつまらない、などと言われてしまいますが、「笑いの力」で日本宣教を豊かにすることはできるでしょうか。神様は、 人を笑う者としてもお造りになられましたが、福音と笑いについて何かコメントありましたらお願い致します。
ききょう:「のらくろ」の著者、田河水泡先生がとある本に「元々聖句と滑稽は異質のものだから、これを並べて伝道することは非常にむずかしいことです」と書いていらっしゃいます。それくらい、ダイレクトに「笑い」で宣教、伝道するのは難しいと思いますが、教会やキリスト教を知ってもらう、理解してもらう、敷居を下げると言うことは十分にできると思います。また今の日本において『教会は、実は明るく楽しいところでもある』と知ってもらうのは、とても大切なことだと思います。
SORA:本当にそうですね。 さて、ちょっとここでエンターテイメントとしての笑いについても伺いたいのですが、よく関西と関東では、笑いの作り方や笑いのツボに違いがあると聞くのですが、どんなところが違うのでしょう。
ききょう:関西人の方が、自分を低くするのが平気なように思います。 人より、ちょっと「アホ」にするのが上手いというか~。元々言葉の文化も上方から広がっているぐらいですから、言葉や会話(間も含む)に対しての反応も関西の方が敏感なように思います。 関東はビジュアル的なものに対する反応は良いように思います。
SORA:そうですか!自分は関東、江戸っ子なんですが、人より先に「おバカ」になっちゃうのが東だと思っていました(苦笑)。個人差があるとは思いますが、関西の方と接する時は緊張感もありなかなか言葉で出てこない、という関東人もいるような…。確かに上方の言葉の文化と喋りのセンスには脱帽です~!
バカではなく「アホ」って言うのもキーポイントなんですね! 是非ここで、落語の醍醐味、楽しみ方を教えてください。
ききょう:やはり、違う世界(非日常的なドラマ)に、簡単に引き込まれ没頭できるところですね。あと、視覚的に見せられるのではなく、自由に想像できるところです。 そして、聖書と同じで、ありとあらゆる知恵が詰まっています。
SORA:ありがとうございます!それでは最後に2023年の抱負やビジョンを教えてください。
ききょう:一人でも多くのキリスト教をご存知ない方々に、福音落語を通じてキリスト教を知って(触れて)頂きたいのと、また、クリスチャンで本物の落語をご存知ない方に「落語風のお話」 ではない「日本の伝統芸能としての落語」を聞いていただきたいと思っています。
マルセまゆみ先生に聞きました
マルセまゆみプロフィール
本名:小池早苗・主イエスの恵み教会牧師・お笑い伝道者
横浜市出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。米国カーネル大学神学部修士課程修了。 劇団テアトルエコー附属養成所(同期に野沢直子、後輩にダチョウ倶楽部)、劇団GAYAを経てプロダクション人力舎(ヒロミがリーダーのB21スペシャルが同期)に所属。伝説の芸人マルセ太郎に師事し、コメディアンとして数々のコント、漫才を作、演出、出演。NHKの「新人演芸コン クール」入賞後は、テレビの数々のネタ番組や、ラジオ(松村邦洋のオールナイトニッポン他)、 また寄席(国立演芸場、末広亭、浅草東洋館など)で活躍、その他、新聞社やテレビ局主催のイベントでは司会業も手がけるなどマルチな才能で全国各地を巡ってきた。 現在は牧師、お笑い伝道者として、CGNTV「みことばに聞く」他、明治学院大学、万座日進館等で聖書のメッセージを取り次いでいる。
SORA:マルセ先生、今年もよろしくお願いいたします。いつもアリシアの森を応援してくださりありがとうございます!
今回は新年号、年の初めから笑っていこう^-^/ということで、「笑いと キリスト教」というテーマにいたしました。で、早速ですが、聖書のお話でこれはお笑いのネタになる、というような箇所はありますか。
マルセ:ありますよ~。聖書は「笑いのネタ」の宝庫だと思います。様々な「人間」が描かれているからです。 記事そのもので笑えるのは、アロンが「金の子牛」を作ったことの言い訳ですね。(出エジプト32 章)『みんなが持ってきた金を火に投げ入れたら、出てきちゃったんですね~。』… 思わず「お前はマジシャンか!!」と突っ込みたくなります。また出エジプトしたイスラエルの民が、『ああ、 肉が食べたい、魚、きゅうり、すいか、にら、たまねぎ、ニンニク…』と不満を言う、その食材が具体的なのも笑えます。(民数記11:5)例えばコントではこの箇所から民たちが「いや、俺、 にらってあんまり好きじゃないんだよね。」「だったらニンニクだよ。一日中臭くなるし。」「ていうか、きゅうりは鍋に合わないな。」 「でも肉鍋は暖まったよなぁ。」「そういえば、前に鍋をやった時、お前あくを取らなかっただろう。駄目だよ。あくを取らないから、いまいち美味しくなかったんだな。」・・等、話の本筋からドンドン離れていく・・等のネタの組み立てもできますね。 「人間の滑稽さ、小ささ」を、主が「愛らしいもの」と見てくださっていることに感謝ですね。
SORA:なるほど!そうやってネタ、ストーリーが膨らんでいくんですね。ちなみに鍋のあく(灰汁)は悪にも引っかかっているのかと(笑)!。
さて 聖書は詳しく伝えていませんが、イエス様は笑った?微笑まれた?と思われますか、もしそう思われる箇所がありましたら教えてください。
マルセ:イエス様はよく笑っておられたと思います。イサクは「笑い」という意味で、神から祝福された人で、アブラハム夫妻にとって「喜び」そのものでした。山上の説教で、主は「喜びなさい」と仰っています。(マタイ5:12)「喜び」と「笑い」はセットだと思います。 子供たちが寄ってきたのも、主がいつも優しく、ニコニコされていたからでしょう。 私が大好きなのは、ザアカイさんが『急いで降りてきて、そして大喜びでイエスを迎えた。』の 箇所です。そこには「喜び」と「笑い」が溢れていた、と思います。彼が「孤独感や自責の念」から思いっきり解放されたのは、そこに「笑いの力」があったからだ!と確信しています。 (ルカ19章)
SORA:ありがとうございます。確かにザアカイさんを訪問したイエス様の眼差しは、微笑みいっぱいでしたよね。やっぱりイエス様も笑い、微笑まれたんですね。 ザアカイさんもユニークなキャラだと思いますが、ここでちょっと聖書の登場人物たちにスポッ トをあてていただき、弟子たちや、聖書全般の他の登場人物で、マルセさんがこれは面白い!ユ ニークだと思われる人がいましたら教えてください。
マルセ:本来、決して悪い人じゃない、だけど調子づいて「何かやらかしてしまう」人・・はいつの時代でも面白いですね。旧約ではヤコブ、大好きなラケルとやっと一緒になることができて、相当舞い上がっていた・・しかしいくら夜だからといって、「ラケルじゃない!!」となんで気付かなかったんや!!・・と。
新約では、圧倒的にペテロですね。主に褒められて有頂天になって、ついつい余計なことを言ってしまう、で怒られる。凄いビジョンを見て見当違いの提案をする。主が気になって付いて行くが、ビビって3回否定してしまう。「主です!」の言葉に、後先考えず、湖に飛び込む。牧師としての召命と預言を受けたそばから、「この人はどうですか?」と聞いて主にたしなめられる。凄いリーダーシップを発揮したかと思いきや、イスラエル人の顔色を伺って、後輩のパウロに怒られる、等々、面白い程に振り幅の大きい愛されキャラですね。
SORA:ホントですね~(笑)。ペテロ、好きです!。 よくキリスト教は真面目だ、硬い暗いつまらない~>_<;などとも言われますが、福音宣教に 「笑いの力」がもっと用いられても良いのでは、と思います。日本宣教と「笑い」について何かコメントがありましたらお願いいたします。
マルセ:日本人のキャラクターは、「真面目で誠実」「穏やか」だと思います。が、本来「祭」 が大好きです。江戸時代末期には「ええじゃないか騒動」がありました。古事記では、アマテラスの岩戸隠れに際し、アメノウズメの「滑稽な踊り」に、皆が爆笑した、という記述があります。 (勿論、これらは偶像礼拝と関係していることですが…) 日本のクリスチャン達に、「静かにしていないといけない。」「大声で笑ってはいけない。」と いうような、「宗教的な蓋」「緊張の蓋」がされているような状態かもしれないですね。その 「蓋」を取る鍵が「笑いの力」だと思います。「緊張」が「緩和」された時、笑いが生まれます。 神の子供として、神に愛され守られている者として、リラックスする。私達が笑っている、喜んでいることが、神の喜ばれることなんだ!と知る。 強い閉塞感と緊張感のある現代の社会に於いて、「クリスチャンて何でこんなに楽しそうなんだ? 何でこんなに笑っているんだ?」・・と人々が不思議に思う。その時こそ、「答はね、イエス様にあるんだよ!」と示すことが出来るのではないでしょうか?「笑い(解放)の力」が日本のリバイバルの大きな引き金の一つである、と確信しています。
SORA:私達が喜び笑っていることこそ、神様の喜びなのだと大きな気付きをいただきました! 読者の方の中には、最近笑ってないな~、クリスチャンになってからは「お笑い」と距離をおいてしまっている方もいると思います。是非「お笑い」というエンターテイメントの醍醐味、楽しみ方を教えてください。
マルセ:そうですね、「共に」・・演者からの一方通行のものでなく、共に作り出していくもの・・だと思います。 笑いのツボは、人によって違います。だから、「シニカルに査定する」というような態度ではなく、「一緒に楽しい空間を作り出す」「参加する」というのが、健康的な関わり方だと思います。 これは教会の在り方と似ていますね。「今日の牧師のメッセージは物足りないな。」とか「その行事は別に・・」というような冷めた態度ではなく、「神の家族」として、主が与えた空間、チャレンジを共有する、どんなことにも「楽しみ」を見つける、すると空気が軽くなる。「あっ、軽 い!」は「あかるい(明るい)」ですね。わたし達は「光の子」なので。
SORA:これまで演者として歩まれてきた中で、これは笑えない、大変だ、というようなエピソードはありましたか? また牧師になられてから、これはお笑いの世界にも通じるようなことだ(教会や信仰の中での出来事で)と思われることがあれば教えてください。
マルセ:大変なエピソードや失敗は沢山あります。 新人の頃、TVのネタ番組で、相方が「真っ白」になって台詞をすっかり忘れてしまう・・それを逆手にとって笑いに変える、といった技術力が無かったので、その後しどろもどろになって、終始ひきつった顔が写っていた・・や、地方の営業でパブのような所に行った時、意地悪な男性従業員がいて、登場するなり「ピンクの電話!!」(当時売れていた女性コンビ)と叫び、その後は極力お客さんがこちらを見ないように、大きな声で話しかけたりして「無視」の状態を作り出す・・「なら、呼ぶな!」とただただ嫌な気分だけ残って舞台を降りたこともありました。「売れていれば、こんな目に遭わないで済んだのに。」と悔しい思いをしました。当時はお笑いの世界に於いて、「人からの扱い」に関して、一喜一憂を繰り返していました。
SORA:なるほど~、プロとして舞台に上がった経験のある人にしか分からない厳しさ、辛さです ね…。
マルセ:でもクリスチャンになって、「うけていない自分」も、俯瞰で見て笑ってしまう・・ようになりました。「うけても、うけなくても、どっちに転んでも大した問題じゃない」といういい意味での開き直りが出てきました。 「わたしは、主からの承認を戴いている。」という確信が出てくると、自ずと「人からの承認欲求」はどんどん小さくなっていき、強くなっていきますね。
神学生の時にある先生が「信徒さん達は、牧師の失敗談を喜ぶ。」と話していました。これはすごく記憶に残っていて、確かにその通りだな、と思います。「牧師も、皆さんと同じように、いや、それ以上に、いろいろ失敗をやらかしちゃいます。」・・と言うことで、「それでも愛してくれる主」を知り、皆さん「恥」の構造から解放されていきますね。 「笑い」はつまるところ「愛」なんだと思います。
SORA:感謝です!今日は貴重なお話をたくさん、ありがとうございました。 では最後にマルセ先生の2023年のビジョンや抱負をお願いいたします。
マルセ:まさに「世の終わり」というような時代にあって、現代の「ノアの箱舟」として、主への 「賛美と笑い」の捧げ物を携えて、主が「行きなさい!」と仰るところへ行き、多くの魂を勝ち取っていきたい!!と願っています。
佐伯玲子さんに聞きました
佐伯玲子プロフィール
女優、演劇プロデューサー・賛美クス創始者(賛美歌+エアロビクスの融合エクササイズ)
ホリプロお笑い第一期生として数々のバラエティ番組に出演。ものまね王座決定戦、LIVE笑me、 THEテレビ演芸、独占!女の60分他、などでエンターテイナーとして活躍。またドラマや舞台役者として、「ピーターパン」、「ミニバトより愛を込めて」、「美しきファイター(主演・原案)」 他、数々の作品に参加、活動の場を広げてきた。 現在は、脚本、演出の他、ホリプロ「笑売塾」コメディ講師、GOD企画「湘南爆笑塾」塾長を勤める等、新しい時代を担う「スタンダップ コメディアン」「ニューエンターティナー」の育成に尽力している。
SORA:佐伯さん、今日はよろしくお願いいたします。いつもアクティブで楽しそうなお働きを佐伯さんの公式サイトや教会のHP、フェイスブックなどで拝見して元気をいただいています。 早速ですが、聖書の中のお話で、これは面白い、ネタになる!というような箇所はありますか。
佐伯:よろしくお願いいたします。ネタ、たくさんあります(笑)!お笑い出身の性(さが)でしょうか?! 読みながら「そんな訳ないでしょ」「洒落にならんわ~」と、突っ込みながら読む時があります。
情景や口調も勝手に想像してウケていることも(笑)。昨年のクリスマスイブの日、所属している [主イエスの恵み教会]と、教会一階にある[CROSS CAFE]共催のディナーショーにて披露した聖書コントでも、色々な聖書箇所を引用させていただきましたが、新たに注目しているのが『エステル記』。
たとえばこんな箇所ですね、『王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でもあなたにやれるのだが。」』(5:3)『この酒宴の二日目にも王はまた、 エステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それを叶えてやろう。」』(7:2)ここなんか、この王様、どんだけ王国の半分あげたいのっ!て(笑)エステルが何も言ってない前から、やたら王国の半分をあげたがるアハシュエロス王とエステルのやり取りを、夫婦漫才でやったら面白くなりそうです。
SORA:なるほど(笑)!エステルにぞっこん惚の字の王さま、このセリフが漫才になるとは! さすがです。他にもまだありますか?
佐伯:他には、創世記にある有名なイサクのエピソードなどはどうでしょう。 歳をとって目が見えなくなっていたとは言え、イサクがざっくりした変装でエサウになりすましたヤコブをすっかり信じて、さっさとヤコブを祝福してしまったりとか(声がヤコブだと思っていたにもかかわらず)、そのヤコブは、暗がりの寝床でラケルとレアがすり替わっているのが分からず間違えてしまったり^-^; 最愛の息子や恋人にも関わらず、案外あっさり騙されてしまう所などコントになる箇所だなと思いました。(創世記27章/ 29章)
SORA:そう来ましたか~!気づきませんでした。この父子のやりとり、やっぱり神様もクスッとなったでしょうか。
聖書にはイエス様が笑ったとか微笑まれた、などの表記はないのですが、イエス様は笑われたでしょうか。佐伯さんならどんな風にイエス様は笑ったと推測されますか。
佐伯:これもたくさんあります!本当にイエス様は愛のお方であり、面白くてチャーミングな方だなと、聖書を読んでいて感じます。例えばマルコ11章27節に祭司長、律法学者、長老たちから「何の権威でこれらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」との問いに、「一言尋ねますから、それに答えなさい。そうすれば、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているかを話しましょう。ヨハネのバプテスマは天から来たのですか、人から出たのですか。答えなさい。」と返され、彼らがあーでもないこーでもないと考え抜いた挙げ句「わかりません。」(ここは小学生か!との突っ込みどころでもありますが(笑)!)と言うと「わたしも何の権威によってこれらのことをするのか、あなた方に話すまい。」と言われた所。こちらの質問に答えないのなら、こっちも話さないよと言った後、 ニコッとされたのかなぁと。このような意地悪な質問でも、神であるイエス様は、愛をもって冷静に諭すように、微笑みさえ浮かべながら答えられたのではと思いました。
もう一つは、ペテロに三回ご自身を「愛します」と言わせ、ペテロがイエス様を三回「知らない」 と言ってしまった事をキャンセルしてあげた所です。きっとペテロは大号泣だったと思いますが、 そのペテロの顔を優しく撫でながら涙を拭いてあげつつ、これ以上ないほどのキラッキラッの微笑みをペテロに送られていたと思いました。最後は大笑いしながらペテロを強く抱きしめ、頭を優しくポンポンしてあげたのでは… ちょっと学園青春ドラマみたいですが(^0^:) (ヨハネ21:15~19)
SORA:ありがとうございます、キラッキラッのカッコ良いイエス様にお会いしたいです! さて、弟子たちやその他聖書中の人物で、佐伯さんが面白い、ユニークだと感じる人はいますか?
佐伯:色々いますが、一人はダビデですね。「役者バカ」の代名詞が「藤岡弘、さん」なら、ダビデは「神様バカ」と言われる程、神様大好き人間だと言う事が、とっても分かりやすく、またそこが可愛く思えるからです(笑) 神様大好きで畏れているにも関わらず、結構色々とんでもない事をやらかしてしまう(^0^;;) だけど「ごめんなさい!」と素直に謝る。ダビデの神様に真っ直ぐな所が、とっても好きです♪
SORA:ダビデですか!それも神様バカ!の一本気 ^-^/ 、ちょっと藤岡弘さんのイメージ入って来 ましたが(笑)、豪快に笑い豪快に落ち込みそうですね~でもそこも魅力ですね。
次は日本の教会と笑いについてのお尋ねです。どうも日本の教会は真面目だ、硬い暗いつまらないなどとも言われますが、実際にクリスチャンになられてから感じられることはありますか?また 芸能界やお笑い、エンタメの世界の方々に福音を伝える良い方法がありましたら教えてください。
佐伯:私の場合、クリスチャンになる前のイメージが質問にあるようにあまり良くありませんでした。それは救われる前に属していたカルト宗教に来ていたクリスチャン一家が、まさにそうだったからです。イエスキリストを信じているはずなのに、なんでここに来ているの?という不信感で、 クリスチャンは弱いものだとも感じていました。しかしクリスチャンになってからは、パワフルで明るくダイナミックで楽しい方々に出会うことの方が多いので、逆にイメージが好転したパターンです。宣教に関しては、出向いていく方法ももちろん大切ですが、多種多様なメディアが増えてきている現代(Youtube,TikTok,Twitter,Facebook等)そう言ったものを上手く使って、全日本プロレスのキャッチフレーズのように、「明るく!楽しく!激しい!」賛美と礼拝をしている教会の様子や、自分たちのミニストリーを様々な表現で精力的に発信して行くこともポイントだと思っています。
SORA:そうですね、まだまだ教会が発信できるツールはたくさんあるんですね。
佐伯:またエンターテイメント界に福音を伝えるには、やはり聖書がしっかり土台となった作品を打ち出していくことだと思います。音楽にしても、演劇や演芸にしても、聖書を基準に、すべて主への捧げ物として制作していったら、たとえ「イエスキリスト」という御名前を入れられない場合であっても、それを観た人、聴いた人の心に、福音の種が蒔かれるのではと思います。
SORA: なるほど、主の御名を掲げずとも、聖書の心みたいなのが流れている作品、良いですね~ 音楽や美術アートにも適用できますよね。
さてエンターテイメントの醍醐味や、これまで活動されてきてこれは大変だった、聖書のことばに助けられた、というようなエピソードがあれば教えてください。
佐伯:ノンクリスチャン時代に芸能活動していた頃は、しっかりと稽古を積んでからでなければ、 怖くて舞台に立つなんて出来ませんでした。更に終わった後で、上手く出来なかった時はひどく落ち込み猛省ばかり。「失敗はできない!」「上手く出来なかったから仕事はなくなる!」と言った、恐怖心が常に心の底にありましたが、クリスチャンになって、様々な形で神様が訓練してくださり、鍛えて下さったおかげで、いつも主に祈ってゆだねて行えば、主が何とかして下さるという信仰が次第に備わっていき、以前のような気負いはどんどん減ってきて、心に平安を保ちつつ、 何事も行っていけるようになったと実感しています。
僅かの時間内にネタ作りや、振付を考えなければいけないと言うシーンでも、聖霊様が教えて下さるから大丈夫!という信仰を持って祈りつつ臨むとクリアできた経験が増えていく度に、主は本当にそばにいて、励まし助けて下さるんだなと感謝で胸がいっぱいになります。
『わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。』(ヨシュア1:9)この御言葉を握って、これからもエンターテイメントの山を勝ち取るべく、主と共にミニストリーの舞台に立ち続けます!!
SORA:みことばと共に応援させていただきます。 「笑い」には大きな力があると思いますが、SORA読者へエンタメ、お芝居などの楽しみ方を教え てください。
佐伯:これはクリスチャンになる前からですが、お金を払って観に行くのならば、一つでも面白 かったところを受け取ってくるぞ!!という観方をすることだと思います。 かつて、役者、制作関係者の方で、観た作品の脚本、演出、演者のアラばかり探して、観終わった後にダメ出ししまくる事に命かけているような方がいらしたのですが、そういう見方って損だなと思います。たとえ、一般的意見として辛口評価の多い作品だったとしても、色んな視点から見れば、必ずネタ財産になる部分はある筈です。ですからなんでも先ずは「楽しんで見よう」という気持ちで観ることだと思います。今まで観たもので、「金返せ~!」なものも多々ありましたが、 ガッチリツッコミ目線で見届けて、「ネタの引き出し」に入れて、必要な時に使うことが出来ています(笑)
SORA:なるほど!勉強になります。どんな作品にしろチケットを払った分は自分の引き出しに何か残す、そうやって観ていくと、楽しいだけじゃなくて、ちょっとした日々のプラスアルファのヒントも生まれそうですね。それに元も取れますしね(笑)。
では最後のご質問ですが、2023年の抱負やヴィジョンを教えてください。
佐伯:2023年も日本のリバイバル成就に向けて、主に言われたことを、臆することなく大胆に行っていける強い者に、もっともっと成っていくことです!!神様が私に下さった大切な賜物を、主に益々磨いていただき、2023年もダビデのように歌い踊り、イサクの笑いを爆発させていきます!イエス様と共に!!アーメン!!
SORA:佐伯さん、今日は元気なエネルギーをいただけるお話をたくさん、ありがとうございました。
【編集後記】
いきなりですが、昨年末に何故か1日だけ発熱し、それも38.1度まで上げに上がったので、カロナール飲んで大人しくしてました。一応抗体検査したら陰性ということで翌日には平熱、でもこのおかげで紅白もゆく年くる年も観られずに、元日礼拝もお休みしちゃったワタクシ、このSORAからやっと新年が始まった感じでございます。笑うって良いですよね、笑うと免疫上がりますね、笑うと自分にも他人にも優しくなりますね、心配事や悩みも笑いが吹き飛ばしてくれるんですね。だって聖句にもあります、いつも喜んでいなさい...って。ここね、気付いたんです、祈れ、感謝しろって最初から言わないの、喜べ!なんだって。
どうぞ皆さまの2023年が楽しく喜びに溢れた一年でありますように...。
編集部ケイでした。